写真はdaylifeから
ニュースやメディアの将来について考えるとき、現在のニュース配信システムがそのまま将来に持込されることを前提に考えていたのでは無意味な気がします。そして、その点を見据えているか否かで大きく新聞社の未来像についての意見が違ってくるような気がします……
たとえば、新聞紙必要論のなかで(ちなみにわたしは不要とは言っていませんよ)、"同一紙面のなかで興味のない記事を併せもつからこそ、世界を認知できる"という「好きなオカズばかりではなく嫌いな野菜も摂れる」理論(命名 by わたし)がありますが(嫌いな野菜が好きなオカズと同一の皿に盛られていても食べ残す人は少なくないけれど)、DayLifeなどをみていると、違うかたちで(しかも軽やかに)実現している気もします。
ほかにも組み込み型のAptureのようなストリーム(流れ)でニュースを集めて、興味をほかの連関性のある他記事や新聞そのものへと遷移させていく方法など、「好きなオカズから似たようなオカズへ、やがては違う野菜も知らないうちに採っている」論など、いかがでしょうか?
また、紙の惜しい部分は注目を集める記事に面積の多くが割かれるといった問題から、定点観測が難しいという事態を引き起こしています。これは有限資源である紙の面積比がそのままニュースの重要度に比例してしまうからです。
これについて、既に紹介したようにグーグルのLiving Storiesなど、常に同一記事の定点観測が可能となり、しかもこの仕様は公開されているため、だれでも自社サイトに組み込むことができます。
無論、紙を否定するわけではなく、むしろ紙を補完するかたちで、上記のような技術があるわけですが、電子版になっても紙のそれを模倣しているだけでは、価額に見合った新しいメディアの価値も向上しないと思います。
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