膨大な数の「おれ」「わたし」が猛烈な勢いで集積し、
リアルタイムで編集されることで、量が質に展化する、
そんな臨界点がある・・・ということでしょうか?
わたしが言い足りていないことをいくつか…。おそらく事件が起きたときに顕在化する可能性はあります。個々のモチベーションや資質は関係なく、実況ストリームが起きるでしょう。実際、米ではTwitterジャーナリストが多数誕生しました。住所録を作成しようという流れも起き、ニュースを報じるということにおいて会社の垣根が崩れつつ…。
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これって「誰でも通信社状態」ですね。おそらく、日記とは違うメディア反射神経をもった人がスターになるような気がします。でも、全員、目指す必要はないし、無理でしょう。わたしもずっと放置していましたが、アグリゲーターやいろんなクライアントが出てきて、やっと可能性が理解できました。
うちのブログへのコメント、ありがとうございました。
「量が質に展化」と書いたのが(「転化」の変換ミスといま気づきましたが、それはそれとして。いやはや)、違う文脈であることが、よくわかりました。
自分自身、「ウェブ=データベース」、「検索=混沌の海から、必要に応じて意味を生成するもの」というような捉え方がずっとあって、ストリームについていまひとつ身体が馴染んでないんだなぁ、と。
遥か遠い昔、90年代後半から2000年まで、百科事典のデジタル化という仕事をやっていたせいかもしれません(笑)。
投稿情報: 今日の平凡社 | 2009/06/10 19:49