(掲題は以前の本ブログの名称。現在はニッチメディアラボに改題しました。記事は当時のものです。)
私は80年代、「ニューメディア」ブームというものが官や民を挙げて囃されていた頃、伊藤忠商事とNTTによる街頭型キャプテン通信システム端末の広告営業を担当していました。
それ以降、初期のダイアルQ2システム(後にアダルト・コンテンツだらけになるが、当初はNYの公共ツールのようなものにできたら、という開発者たちの思惑があった)の立ち上げ、パソコン通信、DTPの登場など、まさにメディア変革の真っ只中を過ごしてきました。
そして、93年初めてインターネットにGopherやTelnetを使って接続し、起きている現象を報じるべく「WIRED」という雑誌の版権獲得に動き、あとは皆さんご承知の通りです。
90年初頭、私はDTPに関する著作を二冊上梓しました。
当時ハイエンド・ユースが全盛の頃、個人が使ってメディアをつくるということを啓蒙したものです。タイトルは「こちらMac派DTP倶楽部」(翔泳社)と「Macで始めるパーソナルDTP」(アプライドナレッジ)でした。どちらも、Macという冠詞がついているのは、当時のDTP環境はMacが圧倒していたからです。
そのときより、いままで私が考えていたことは、スーパーコンピュータの性能がパーソナルコンピュータにスピンオフしてきたように、メディアもまた放送局や新聞社のような集権的なメインフレームから、非中心化を果たし、やがては個人にパワーがシフトするだろうという確信です。それにより、個々がメディアをもち、コンテンツの送り手から受け手へという単純な上位下達構造とは違うものになっていくのではないかと予測しました。
その意味でブログについても多くの人たちにツール利用を勧めてきました。
そして、ソーシャル・ソフトウェアやCGM(コンシューマ・ジェネレーテッド・メディア)が着実にその頭角を現しつつあるなか、これらツールをさらに洗練させたり、場を提供するなどのグランド・デザインに携わりたい、と考えています。
個々がメディアをもつために必要なこと、それらは 1)メディア・リテラシー 2)簡単なウェブツールとメタデータに関する規格統一 3)情報の収集(アグリゲーション)4)ユーザーに代わって情報を収集するエージェント(別にボットとパーサの組み合わせでなく、人間も含む) ……これらが重要になってくると考えています。これらを行なうことが次代の編集、ひいてはメディア企業の未来が開けると考えています。
たぶん、ハイエンドは残り続けると思います。パッケージング能力というのは、リアルな社会では欠かせないものですから。力の強い大企業は再編統合により先行者利益の逆で残存者利益を享受するでしょう。マスメディアは消えてなくなることはないでしょうが、それよりも個々がもつメディア・パワーが増大し、ひとつのスフィアを構築すると睨んでいます(質についての是非は、一度措きますが)。 ブログ、メッセンジャー、SNS、携帯、ポッドキャスティングなどは台頭する個人メディア・パワーであり、米では「パーソナライズド・メディア」と呼称されています。私はマスメディアに対して、これらをナノメディアと呼んでいます。
これら勃興するナノメディアについては、換金化の問題が立ちはだかりますが、Web2.0と同様、たった一人で立ち上げることが可能なので超ローコスト・オペレーションが必須でしょう。
そして、それを支援するサービスは多々登場しています。そこから先は、コンテンツ業界と一緒で「皆、仲良く大もうけ」ということはなく、一強多弱のようなヒエラルキーはどうしも生まれてしまうのではないでしょうか。ただ、基本ですが「見たい・読みたい人がいる」「特化する」「更新頻度が早い」など基礎条件をクリアすることで、ニッチを追求すればするほど利益を生む確率は高くなるかもしれません。
いずれにせよ、私はすべてのツールはすべての個の使い方次第だと思うので、「お父さんの身辺日記」から「メイド喫茶のレポート」まで、メディアの多様性が担保されるのは、とてつもなくパワフルなメディアが誕生する素地として必要なことだと思います。
よって、よく「ブログには、どうでもよいくだらない記事が多い」ということを言われますが、私たちがよく観るテレビ番組、新聞、週刊誌、月刊誌も「つまらない」コンテンツのほうが多いという印象です。
そして、その個人メディアのターゲットによって、その受け取り方は千差万別であり、たった数人しか読者がいない「お父さんの日記」でも、その数人には毎日欠かさずに読むキラーコンテンツかもしれません。メディアというと、ブロードキャスティングが前提となりますが、かつて流行った言葉~「ナローキャスティング」~のように、受信のされ方も多様になるものだと思います。
現在、私自身にゴールイメージがあるわけではありません。
ただ、長い時間を経て取得した技術と膨大な投資によって実現するハイエンド・メディアとは違い、ひとつの発想だけをもってすばやく、しかもローコストでメディアを構築するというナノコンテンツの発現環境は、メディア人としての私には愉快に思えるのです。
さまざまな問題が内包されていると思いますが、それは現在のハイエンド・メディアでも同様です。ただ、次代のメディア人のインキュベートやトレーニングを支援できれば、と願っています。そして、その先の出口を同じ気持ちの人たちと見出せることを期待しています。
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