米WIRED誌の特集「The Web Is Dead.」について、Web版の記事を読んだので備忘的に書いてみようと思います。ただ、この時点で英文記事を読んだ雑駁な所感でしかなく、もうちょっと読み込んだり、誤読していないか確認したうえで、考察なり感想を改めて述べる予定です。
さて、この「The Web Is Dead.」ですが、ロック雑誌が「ロックは死んだ」と書くくらいインパクトがありそうですが、はたしてどうでしょうか。
WIREDのWeb版で同特集は「The Web Is dead. Long Live Internet」というタイトルに改題されています。
つまり、本特集が指すWebとはインターネットというインフラ上でブラウザーソフトを立ち上げて閲覧可能なWebサイト総称であり、インフラとしてのインターネットではありません。先のロック雑誌の喩えでいえば「バンドブームは死んだ。ロックよ永遠なれ」という感じでしょうか。
それは、Web検索の対象となるWebがインターネットのトレンドセッターである時代は終わったけれど、ピア・トゥ・ピアで稼働するスカイプやXbox360のオンライン対戦ゲーム、スマートフォンのアプリ群がポストWebになるよ、というのがこの特集の要諦でしょう。
もう少し砕くと、インターネットをインフラとしたWebサービスが産業としての成熟期にさしかかり、一部企業による寡占状況に突入するであろうということ。そして、APIとiPhoneアプリの台頭により、Webサイトそのものから後者のようにセミ・クローズドなアプリにパワーシフトが始まっているというような趣意のことが述べられています。
ポストWebは、appsなのか?
クリス・アンダーソン(WIRED誌編集長)氏は、Webビジネスの成功サイクルが短命であることやユーザーへのプッシュサービスであるアプリのほうが使いやすく、コンテンツがフリー(無料)ではなくフリーミアムに移行していることなどをWebの死因として連ねます。
なお、特集の冒頭に掲載された図表〜インターネットのトラフィック内訳〜のなかでWebの占める割合が下がっていますが、特集内でWeb衰退の根拠としてこの図表以外に多くのデータが提示されているというわけではありません(まあ、これで十分という意見もあるでしょうが…【*】)。この特集は起きている事象からWebの死を宣告するというよりも、ポストWeb論として、次のコンセプトを提起しているわけです。
(source : Cisco estimates based on CAIDA publications, Andrew Odlyzko /via wired)
【*】TechCrunchには、このデータの信憑性を疑う記事が掲載された。
また、アンダーソン氏は鉄道や電気などのインフラ産業の歴史を引き合いに出しつつ、基幹産業全体の成熟に伴なう淘汰を説いていますが、これはJonathan L. Zittrain氏の「The Future of the Internet and how to stop it」の主張に負うところが多いでしょう。わたし自身は未読なので、同書を読む必要を感じました。
→ The Future of the Internet 【*】ハヤカワ新書より『インターネットが死ぬ日』という書名で刊行されていました。
個人的に面白く読めた箇所は、ワイドオープンなWebを利用したサービス運営者たちが、大量なトラフィックを集めれば集めるほど、「勝者全部取り」として寡占的になっていくという皮肉なパラドックスについて記述した箇所です。
FacebookはWebの並行宇宙
その意味ではアンダーソン氏の記事よりも、同特集に併載されるマイケル(初出でミカエルと書きましたが、英語読みではこちらが一般的ですよね。失礼しました)・ウルフ氏の記事のほうが、さらに突っ込んで書いているため、より多くの論争を醸す気がします。同氏はネット上の集産主義について疑問を投げかけていました。
ウルフ氏は、Webは「伝統的な権力構造を壊す力」と「企業が(集権的に)支配しようとする力」が同時に働く場所であると指摘します。グーグルはその過程におけるひとつの終点だとも。
たとえば、リアル世界では多くの事業者が存在できたのに、グーグルの場合、流通から配給までを1社で寡占することができます。そして、それはグーグルによってもうひとつのWebが作り出されたのだと同氏は語ります。
ウルフ氏が指摘するように、わたしたちが知っているWebは、実はWebのなかにあるひとつの閉じた系〜トラフィックから広告までを司るグーグル系〜と言えるかもしれません。また、Facebookも同氏が言うところの「Webの並行世界(パラレルワールド)」でしょうか。
オープンであることが是であるとされたWebの理想主義からすれば、文学的な意味で「Webは死んだ」のかもしれません。Webの夢見る開拓時代は終わり、ウルフ氏が文中で引くInteractive Advertising Bureauのランドール・ローゼンバーグ氏言うところの「誇大妄想」的な起業家(地球規模のサービス提供みたいなことを言う者を指す?)による奮迅がWebをダメにしたという死亡通達ととれなくもありません。
ジョブズの未来は、メディアの過去である
続いてウルフ氏は米国民のメディア消費時間のなかでWebに割く時間の割合が全メディアの35%である点に注目し、オンライン広告費が消費者向け広告費全体の14%しかないことを指摘します。テレビがWebと同じ35%なのに、広告費に関しては40%もあることを挙げて、Webの成長が緩やかになってきたと書いています。
そして消費者と広告バナーの問題、またマーケティングが民主化されたことの弊害として、SEOの台頭により“粗悪な商品コンテンツ・プロバイダー”企業が幅を利かせ、Webはメディアの信頼度が低い場所になってしまったといった論旨を展開します。
ちなみに、この箇所で名前を挙げてウルフ氏が批判するDemand Mediaは、同社に登録している多くのフリーランス・ジャーナリストを使い、商売になりそうな(クリックされそうな)キーワードから記事を書いてもらっています。そして、その記事を契約先のサイトに露出させ、アドセンス等で稼ぐというユニークなビジネスモデルをもつ企業です。
ウルフ氏が憤っているのは、商材ありきで文筆するようなライターとそれを束ねたサービスがWebではコンテンツ企業として存立できているという点でしょうか。ウルフ氏自身はニュース・アグリゲーターの「newser」の創業者なので、Demand Mediaがマネー・ドリブンだとしたら、newserはニュース・ドリブンなので両者はまるっきり正反対の立場にいます。
→ newser
そんなウルフ氏はWeb時代の覇者グーグルを「トラフィックと販売の管理人」、ジョブズやザッカーバーグ(Facebook創業者)を「コンテンツの管理人」として位置づけています。
そして、後者のやり方は過去にメディアがしてきた「スタジオ・システム」(コンテンツを磨きこみ、供給を制御し、ユーザー・エクスペリエンスを管理するようなシステムの意かな)だと述べます。
ジョブズのiPadが予見する未来はメディアの過去であるとし、文章からはノスタルジックな期待を寄せているように見受けられます。しかし、そのジョブズが取る戦略も囲い込みと最大化なので、ウルフ氏はappsにコンテンツの質以外に何を期待しているのでしょうか。
以上、日米でのWeb文化・モバイル利用の差もあり、読んで思うところは多々あります。「死んだか、どうか論争」は不毛で、むしろその表題ゆえ、早急な結論を導こうと話の展開が前のめりすぎる気もしますが、そのあたりは冒頭にも書いた通りもう少しだけ時間をおいてまとめたいと思います。
フムフム ハムハム プムプム
投稿情報: Magicalmako | 2010/09/14 13:11