前の記事からの続きです。
2002年末に友人からブログというものの存在を知らされたとき、いや、正確にはアグリゲーターによってブログのRSSフィードを取得したとき、メディアが大きく変わる予感がした。また、xml-rpcによるデータのやり取りやGoogle APIなどを利用して遊んでみたとき、Mosaic登場以前、gopherというソフトでインターネットに接続した際のようにワクワクしたことを覚えている。
1994年にワイアードを創刊したとき、それまで大学と研究機関のみで使われていたインターネットが、その年はじめて郵政省(現・総務省)から認可されて 商用接続を果たした。IIJに続いてAT&TなどのISPが現れたが、まだ一般の人のほとんどはインターネットを知らなかったし、パソコン自体も いまのように普及していなかった。
創刊の記者発表時、「インターネットはアメリカの文化なので日本では流行らない」と何人もの記者に言われた。いまでは笑い話に聞こえるかもしれないが、当時は真顔で言われたものだ。
でも、どの時代もそれは繰り返される話なのだと思う。
我々は我々がよく知るものの味方なのだ。そこで、目の前にあるものを過度に愛しすぎてしまうと変化を見過ごしてしまう恐れもある。もちろん、急進すぎる変化といっても、その実相は何年か経てのちに全容が見えてくることのほうが多いのだが。
迫るメディア・リプレイスメント
テクノロジーの進化は個をエンパワーメントする流れにあると思う。その善し悪しはともかく、すでにツールはばらまかれたのだから、より有効に活用することを考えたい。
私はキャプテン通信やダイアルQ2の出現時、いまで言うところのコンテンツを制作する立場にいた。また、DTP、パソコン通信、インターネットとメディアを伝播するツールや環境が激変していくのを直に触れ、それにより多くのコンテンツを作ってきた。
初めて使ったワープロは100万円以上するような巨大な箱で、操作というよりも操縦という言葉のほうがふさわしかった。20代の半ばでPageMaker(DTPソフト)に触れたときは本当に驚いたものだ。メモリが8MBしか載らなかったポストスクリプト・プリンタから吐き出されるフォ ントの美しさに感動し、写植機が家に所有できたと思った。
2400ボウのパソコン通信でのファイル転送は革命的で、電車を乗り継がなくても遠方の相手にデータを受け渡し できたことが自慢だった(電車を乗り継ぐくらいの時間がかかったけれど)。それから十数年がたち、どんどんメディアは個に近づいている。いや、もはや我々は 小さな出版社や放送局を手にしてしまったと言えるだろう。
インターネットの存在を認識してから間もなく、私は紙にしかできないこととは何かと考え、所有する喜びが増すように五感を刺激する立体物としての意匠を心がけてきた。また編むのは「文脈(コンテクスト)」であって、「コンテンツ」の羅列はネットに取って代わられてしまう、と考えてきた。
いまもその思想は変わらないが、ここ最近はネットと紙というそれぞれのメディアができることを繋げる「ハイパー・テキスト」ならぬ、「ハイパー・コンテクスト」という発想をしている(単純にページ何々からネットのURLへジャンプ!動画がみれるよ、とかいう小手先のシームレス化ではなく、両メディアの機能と特徴を組み合わせた体験や文脈のシームレス化である)。
いずれにせよ、紙はコストがかかりすぎるので、多くのフロー情報はネットによってリプレイスされるであろう。
出版2.0が話半分ほどステキならば……
また、これまでの在りもののコンテンツやサービスをリアルからWWWに移植してきた「玄関づくり」時代は終了した。
これからは、RSSフィードなどによるコンテンツ・シンジケーションとアグリゲーションによって、「玄関」を素通りして、いきなり「部屋と部屋をつなぐ」時代となるであろう。しかし、そんな時代においても、おせっかいな人間(=編集者)の出る幕はまだ多いだろうし、UIやシステムにしても、まだまだ口をはさむ余地はある(自戒を込めて)。
いまは新しい出版ビジネスや編集者像、メディア・テクノロジーについて考えている。知識の共有、あるいは情報の商流はどうなるのか。情報を発信すること、そして受け取ることはどうなるのか。そのインフラやこれまでプロがもっていた経験値や職能はどうなるのか。広告はどうなるのか、マスメディアはどうなるのか……。
さあ、新しいディケイドが訪れている。今度は前のとき(1994年頃)と違って、さらに苛烈にメディアの地勢図が書き直されていくかもしれない。 「If the future is half as nice」(未来が話半分でも素敵ならば)。……いつもながら、そんな気分である。素敵にするべくこれからもトライ・アンド・エラーを繰り返すだろう。
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