10年以上も前に私が編集していた雑誌「ワイアード」で故ピーター・ドラッカーのインタビュー記事を掲載したことがあるが、久しぶりに読み返してみた。
なんと、いま読んでも新鮮なのである。私は起業してからますますドラッカーの言葉に重みを感じるようになるが、実は会社の社是はかれの言葉から引用したものだったりする。
さて、当時掲載した記事「ポスト資本主義社会の富は知識である」は、もともとアメリカ版に掲載されたものの翻訳だ。これに私自身が野田一夫氏(『現代の経営』の翻訳者、ドラッカーを日本で初めて紹介した人である)への取材を加えた。
記事のなかで印象的な箇所を挙げる。
質問者のピーター・シュワルツが「アメリカの起業ですら、自分たちの過去を棄て未来を築くことに対し抵抗があるのはなぜか?」と問う。
それに対し、ドラッカーは答える。
「一つの理由は無知だ。
システマティックに破棄しない限り、既存の組織内でイノベーションを成功させることなどできないのを知らないのだ」
うんうん、そうだなそれだよ、といま読み返しながら頷く自分がいる。
多くの人たちは安定を求め、自分が居続けるのに居心地のよい環境をつくろうとする。でも、ベンチャーですらそれを破棄し続けることが大変だ。
先日、投資家の経験をもつエンジニアの人と歓談したが、ベンチャーの成長ステージについての話が興味深かった。
まず、最初は個性的な人たちが無茶な条件でもおかまいなしにがんばる。でも、個性的な人たちなので、スタートアップの時点はいいのだが会社が組織の体を成
してくると摩擦を生むようになりがちだ。
次に組織的なマネージメントが必要になってくると、今度は管理職が必要になってくる。増やしすぎてもダイナミズムが失われるが、いないと成長できない。そ して、さらにスタープレイヤーが雇えるようになったとき、企業は安定期に入り、ダイナミズムよりも持続性が明確になってくる。すると、今度はかれらが次々 と辞めていく。
……というように、フェーズによってさまざまな調整局面が必要であり、自ずと「安定しようとする人とそうでない人」が出てくる。しかし、たいがいはオーガニックな淘汰システムとでもいおうか、成り行きに任せてなんとかなる場合があるが、計画的な成長を描かねばならないときには致命傷にもなりかねない。その局面でのフラストレーションはある程度の所帯を抱えた経営者なら身に覚えがあるはずだ。
もちろん、ドラッカーが意味した「破棄」はプロジェクトやコンピタンスにかかわることで組織編成の話ではないが、組織の成長において「自爆ボタン」を作動させ続けなければ、(悪い意味において)サステインするのみで会社の成長は鈍化し、クリエイティビティは保てなくなる。ソニーの最近の凋落が示唆することは、実はどの企業にも起こりえることだと思う。
まず、システマティックに過去を棄てる努力も必要だということを強く実感する。
無知だから達成できることもあるが、ドラッカーがいう無知が幅を効かせることにも大いに畏れるべきなのだろう。
これを機に20代の皆さんもドラッカーの思想に触れてみてはいかがだろうか。
「入門 ピーター・ドラッカー8つの顔」(週刊東洋経済)
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