ついに『偶像復活 スティーブ・ジョブズ』を読了した。 もともと著者の前作『スティーブ・ジョブズ パーソナルコンピュータを創った男』を20代の頃に読み、影響を受けていたので、今回の本はとても期待していた。
まず、本の感想を述べる前に私の思い出話も述べておく。
1995年、私はワイアードという雑誌でスティーブ・ジョブズにインタビューを行った。気持ちのよい晴れた日で、私と取材クルーは国道101でサンフランシスコのダウンタウンからレッドウッドまで出向いた。
当時のジョブズはネクストを率いていたが、ハードウェアから撤退し、サンのSPARKでも稼働するNeXT STEPを発表した直後だった。レッドウッドにあるネクスト本社に初めて訪れた私は、その開放的なつくりや、裏手にハーバーがある素晴らしい環境に驚いた。また、社屋にはキッチンがあり(そんなに使われていないと社員が言っていたっけ)、野菜や果物ジュースがたくさん冷蔵庫に保管されていて、その環境を羨ましく思ったものだ。
当時、私は米WIRED誌よりもはやくジョブズの独占インタビューを実現したため、米編集部は複雑な心境だったに違いない。
米WIREDの編集長だったケビン・ケリーと一緒にネクストに訪れ、ケビンはその後に独自取材を敢行し、米WIREDとしてジョブズの特集を組んだ(日本版でも訳出して掲載した)。
実はいまだから告白するが(仲間内では昔に懺悔した)、ジョブズの取材時、私はテレコに挿入したテープの片面が巻きとられたとき、それを反転するのをうっかり忘れていたのだ。
日本人としてはかなりのロング・インタビューだったのにもかかわらず、その半分を活字にできなかったのだ。ちょっとだけ弁解させてもらうと、録音し忘れた部分には米の教育問題に対するジョブズの考え方が述べられていたため、日本版の取材趣旨と外れるのでいずれにせよ割愛をしたと思われる部分だ(もちろん、とんでもなく貴重な発言だと思うので、何度も猛省したが)。
いまにして思うと、当時テープを反転し忘れたのは、本書の著者やジョブズと働いたことのある人たちが呼ぶところの「現実歪みフィールド」の影響下にあったためかもしれない。
若い頃のマイケル・デルやビル・ゲイツ本人、そして多くの著名な人々に会ってきたが、いまだにジョブズだけが特別な印象として残っている。
無論、ジョブズに会いたかった私が浮かれていたことは認める。
だが、それ以上にジョブズが話しだした瞬間より、こちらがぼおっとしてしまうような不思議な熱に包まれる雰囲気を感じたのも事実だった。鋭い眼光、威圧とは違うが、じんわりと自分のほうへ注意のすべてを引き寄せてしまうようなオーラ、それらはテレコの操作についての私の注意力を途切れさせるのに十分だった(ちなみに私は編集者としてのキャリアのなかで、録音を怠ったのは後にも先にもこのときだけである)。
まあ、私の昔話が長くなってしまったが、本書『偶像復活』を読んで一点だけとても驚いた点がある。
そこを読んだときデジャ・ビュを覚えたのだ。
それはジョブズが洗濯機を買うのに家族と討議をしているというエピソードだ。
これは95年の私の取材時にもジョブズ本人の口から聞いていた話だったからだ。実は私はそのときデザインについて質問を浴びせている。ネクストのcubeと呼ばれる筐体が日本の賽銭箱をモチーフにしているという噂から、そもそもかれのデザインについてのファナティックなこだわりについて聞いてみたかったのだ。
そのときかれは以下のように答えている。
「僕は何をするにしてもデザインはきわめて重要だと思っています。なぜなら、デザインはより良い製品をつくってくれるからです。つまり、僕は意味もなく重要だと思っているわけではなく、より良い製品をつくってくれるからデザインは重要だと思うのです。デザインは製品をより良くするのに、ほとんどの人はデザインに注意を払わない。僕にはそれが理解できない。ネクストは世界で最高の製品をつくりたいと思っているので、デザインやユーザーインターフェイス、それから製品の美しさそのものに相当神経をつかっていますが、真に優れた製品をつくるという意味で、この種のことも仕事の一部だと思っているのです……」(「ワイアード」95年8月号)
このとき、ジョブズが家族会議でどこのメーカーの洗濯機を買うのか話し合ったこと、そしてドイツ製(本書では欧州製とだけ書かれている)のものを買ったということを聞いたが、私はそのとき活字にしていない。当時、ネクストを中心とした取材構成だったため余談だと思って切り捨てたと、うろ覚えながらに記憶している。
『偶像復活』では、「1996年におこなわれたインタビューでも、次のように語っている。」として、ジョブズのデザインに対する考えと家族会議で洗濯機の購買について話し合ったエピソードを紹介している。
うん、個人的にはとても気になる。
本書では著者以外の取材を基にする場合、多くは何年何月のどのメディアによると、と記されているのだが、ここだけ 1996年におこなわれたインタビューとだけしか書かれていない。もしかしたら、米WIREDが行ったジョブズへの取材の没ネタだったのだろうか(ほかの章では米WIREDの記事が引用されている)。
いずれにせよ、この出所不明の取材で、ジョブズが語った逸話は少なくとも一年前に私が耳にしていたことは間違いない。
まあ、そんな私の懐メロめいた話は以上(えらい長くなってしまった。無料のブログなので私の宣伝だと思ってお許しを)。本書の感想を記そう。
前作はすでに過去の話だったためか、はたまた関係者の口許が緩すぎたせいか、とにかく面白いディテールの集積が山積みだった。
今回の『偶像復活』は、前半はそんな過去のストーリーを早送りして見事にまとめている。早送りにしたせいか、アップルに興味のない人にもとても読みやすい。ジョブズとジャン・ルイ・ガセーの仲が悪い理由も書かれている。
しかし、残念な点は革新的なテクノロジーが生み出されたその背景やディテールが少々物足りないのだ。特に後半部はそれらの多くに言葉は割かれず、ジョブズのセールストークがいかに凄いかと株式公開の話などで埋められている。
著者がもうすこしNeXT STEPが実現したオブジェクト指向について前作のように取材していたら、もう少し違うトーンになっていたかもしれない。当時エンタープライズ向けに走っていたネクストをマッキントッシュよりも退屈だと思って取材の手が緩んでいたのであれば、本作は前作のようには面白くない。
ネクストからアップル、そしてピクサーに関する話題は巨視的視点から追いかけられている。前作が刊行された当時と違って、いまの読者は日本語で上下巻になるほどのボリュームを求めていないし、アマゾンやボーダーで売るにはもっとキャッチーでなければならないだろう。それは私も理解している。
それにジョブズのプロジェクトはいまも現在に属し、利害関係をもつ人たちが多く、取材が極めて困難だということも理解する。そして、ジョブズがすでに巨視的視点からでないと追いかけられない事実上のアイコンとなってしまっているのは間違いないだろう。だから、著者ばかりを責めるのも酷というものだ。
しかし、後半部については著者の印象や感想が多くなり、話を形成する輪郭が見聞きしてきた事実よりも、著者からみたジョブズ像に傾倒しているきらいがある
どうもアイコン(偶像)としてのジョブズを追求するあまり見落としている点も多々あるのではないか。
たとえば、最初のWWWとブラウザがCERN(ヨーロッパ合同素粒子原子核研究機構)で稼働するネクストから産み落とされたこと、さらに金融市場を席巻したデリバティブなどにNeXT STEPが重要な役割を果たしていたこと、また、 POD(ポータブル・ディストリビューテッド・オブジェクト)が現在のセマンティックなウェブサービスを予見していたかのようであることなど、テクノロジーを通してこの偶像の軌跡に血と肉と骨を与えることにはそれほど成功しているとは言いがたいと思った。著者のテクノロジーに対する知見が20世紀のままにとどまっているような印象を受けたのだ。
とは言っても、著者は才能豊かであることに変わりはなく、ストーリーテリングはすばらしいし、私が知らないことばかり多く書かれている。本書を買っても損はしないし、ワクワクしながら読めることは間違いない。
ピクサーとディズニーのやり取り、そしてジョブズがアップルに復帰するきっかけは本人からの売り込みだったという衝撃の事実(?)など、改めてジョブズの「読み」というか売り込み方に感銘のようなものを受けたし、特にミセス・ジョブズについての箇所も興味深く読んだ。
個人的には円熟したジョブズよりも、「Insanelyなジョブズ」のエピソードのほうが心躍るので、本書を読むことで、また前作を読み返してみたくもなった。
ジョブスのインタビュー記事をよく覚えております。当時PCすら触ったことのない私でしたが、日本版ワイアードはとても刺激的な雑誌でした。おかげでそれまでのお気楽人生がすっかりビジネスどっぷりの人生になってしまいました。
今後も面白い雑誌・ビジネスを期待しております。
投稿情報: 荒井雅樹 | 2005/12/06 18:48
荒井さん、こんにちは。
当時の記事を覚えていただいていて光栄です。
今後もご鞭撻のほどよろしくどうぞ!
投稿情報: kobahen | 2005/12/06 20:04