ポッドキャスティングに詳しい人なら、その道の著名人であるアダム・カリーをご存知だろう。 現在、Wikipedia(英語版)のPodcastingの項をめぐって編集合戦が起きているようだ。
Workbenchによれば、音声ファイルをはじめてRSSフィードしたStephen Downesについての記述が削除され、同日にアダム・カリーがポッドキャスティングを開発したというセンテンスが書き込まれたようだ。
また、テクノラティのエンジニアだったKevin Marksがハーバード大学で開催された2003年のBloggerConで、iTunesにRSSを取り込めるようしてiPodと同調するデモを行ったことに関する記述が削除され、代わりにアダム・カリーによってポッドキャスティングが多くのブロガーたちに普及したという旨の記述が増やされたとか……。
そして、Wikipediaでその削除と記述の追加をしていた人物はだれであろう、アダム・カリーその人ということがKevin MarksとWikipediaのスタッフによって指摘された。
アダム・カリー自身はかれのブログでKevin Marksのデモについては知らなかったと述べている。
この件について、ネット上には歴史修正主義者(リビジョニスト)からいかにwikipediaを筆頭とするソーシャル・ソフトを守ればよいのかという議論も散見された。
日本では自民党議員や芸能人についての項をめぐり、主観的な書き込みが韓国籍の同一IPより繰り返されていいたとして2ちゃんねるなどで話題になっていたようだ。
wikiなどのソーシャル・ソフトが志す知識のオープンソース化について不安視する声は昔よりあるが、それについてWikipediaの創設者の発言を思い出す。
Urban planners and criminologists talk about the ``broken window'' syndrome, says Ward Cunningham, who came up with the first Wiki software in the 1990s. If a neighborhood allows broken windows to stay that way, the neighborhood will deteriorate because vandals and other unsavory people will assume no one cares. Similarly, a Wiki draws strength from its volunteers who catch and fix every act of online vandalism. When the bad guys learn that someone will repair their damage within minutes, and therefore prevent the damage from being visible to the world, they tend to give up and move along to more vulnerable places... (文書はSocialtextの記事より引用)
「broken Windows syndrome」(= 割れ窓理論)に抗する「repair windows」がどこまでやれるのかに対する解はいまだ見つかっていない。それゆえ、ソーシャル・ソフトがラジカルな民主主義ともいわれる所以である。Wkipediaは、やはりただの辞書というよりも、人類のカルマに対する壮大な実験ともいえるだろう。もしかしたら、ネットそのものが壮大な実験場なのかもしれない。
それにしても、アダム・カリーはすでに「Podfather(ポッドファーザー)」とまで呼ばれているのに、まだそれ以上の称号がほしかったのかと訝ってしまう。
昔、米民主党のアルバート・ゴアが口を滑らして「インターネットは私が発明した」と言った事件を思い出した。クリントン政権時に副大統領だったゴアが「情報スーパーハイウェイ構想」を進めていた事実から、演説のように仔細よりもインパクトが求められるスピーチを重ねているうちに、だんだん自分のなかでリビジョナイズ(?)されていったのだろう。
もしwikipediaでなければ、アダムはポッドキャスティングは自分が発明した、という投稿をしかねないほどエスカレートしたかもしれない。そして逆説的だけれど、そうならなかったのは、ソーシャルソフトの(いまはまだ微小ではあるが)抑止力かもしれない。
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