私はこれまで2003年頃より自分が実感し始めたムーブメント(というか地殻変動のような何か)に名前がほしかったので、否定においても、肯定においても、Web2.0は便利な言葉として使ってきた。
それが何かについて厳密に定義したことはないし、ティム・オライリーの定義に追従しているわけでもない。起きている「事変」の象徴として、RSS/ATOMフィードがあり、アグリゲーターや数々のCGMの台頭などが挙げられ、それらとそれら以外の見落としている何かが、かつてと違うものへとウェブを歩ませようとしていると考えている。
その名称が、「Pushメディア」なのか、はたまた「Syndicate」、あるいは「Participate」、そして「Web2.0」であってもなんでも構わない。
しかし、よく耳にするWeb2.0という言葉は、時にはもっとテクノロジーに偏重したものに近い場合が多い。あるいはアマゾンとグーグルのような成功者を指すものとか。もしくは、AJAXやAPI公開を指したものとか、モバイルについてのものとか。口にする人の関心の方向によって、その意味合いが微妙に変わってくる。
どちらかというと、私が興味を抱いているコンセプトは、Web2.0が外因だとしたら、そこから揺り起こされた世界観のほうである。もっと言えば、私にとってのWeb2.0とは、サーバとサーバがコンテンツを理解しあうような一種のセマンティックWebの実現で あり、CGMやWikiに散見されるような、多くの人たちによるWeb上でのWrite/Editの氾濫である。
つまり、このブログのタイト ルと同じMedia to the Peopleであり、十年以上前から私はそれを確信してきた。だからこそ、DTPの著作を上梓し、インターネット登場時、そのインパクトを伝えてきたつもりだ。
私のなかでは、Web2.0の意味をもう少しざっくばらんに言えば、「最近、いろいろと変化が起きていますね。でも、ぜんぶ新しい話というわけではありません。1994年頃からさんざん述べられてきたことがようやく具体化してきたってことですかね」ということであり、その先に見据えているものはメ ディアの変容という前提であり、Web2.0という言葉を、もっと違う言葉の変奏として、いまは便宜的に使っているに過ぎない。
つまり、Web2.0はインターネットと同じくらい広い名称だ。インターネットが何を実現するのかは体系化して伝えることができるが、そこで何をしたいのかは、あるいはすべきかは個々が考えればよい。
さて、なんでこんな話をしたかというと、Slateが興味深い記事を掲載していたからだ。
Web2.0だろうがなんだろうが、ただのネットって言えばいいじゃないか、という至極もっともな意見であり、バブルだよね、という浮かれ足立つ者に警鐘を鳴らす記事である。
記事からは、ティム・オライリーのWeb2.0定義はツールの話をごちゃまぜにしていて、それがどう実在のものをempowerするかについては語っていないし、結局、「人々が人々のために」「支援・協調」しないと、Web2.0ってのは意味ないんじゃない?という大意が読み取れる(と思う)。
なるほど。
たしかにWeb2.0は、かつてのように西海岸左翼的な大衆への絶大な信頼が漲っていると思うし、理想主義的である。一方で、そのように協調しあうことを前提にしないと稼動しないってのはメンドーだなあ、誰かやっておいてよ、とも思う怠惰な自分がいる。
いみじくもこの筆者が言及した「WIRED」(米)誌の10年以上前に掲載された、同誌史 上最悪の特集という評価の「Push」について、その記事のほとんどがいまになってみると正しかった、という指摘は興味深かった。
実は先日、WIRED誌の創業者たちとサンフランシスコで会食したとき、ルイス・ロゼット(当時の編集人)がケビン・ケリー(当時の編集長、『ニュー・エコノミー 勝者の条件』(ダイアモンド社)の著者)の本を引き合いに出していた。
この「Push」は、私も記憶しているが、当時さんざんバッシングされた記事だ。いま読んでみると、結局はほとんど現在に起きていることを予知している。そんなことを踏まえて、「ニュー・エコノミー十則」に十一を加えようという冗談をルイスは言っていた。つまり、十一番目は「絶対、謝るな」だ。何を? 過去の予言である。
さて、この筆者も私も、ティム・オライリーのWeb2.0の定義~長いほうと短いほう~を十年後に読んでみて、さらにこのSlateの記事を比較してみて何を思うだろうか。
バブルだろうがなんだろうが、Web2.0はそのうち3.0に書き換えられるはかない運命にあるわけだから、言葉そのものを問題にするよりは、踊らされている人たちを揶揄したほうがまだ記事としては面白いのではないか。
A pitch-weary investor told Newsweek, "When people say to me it's a Web 2.0 application, I want to puke."
でも、実はそんな揶揄もWeb上ではここやこちらのように、とっくの昔にあるわけだから、わざわざSlateに書いたということで、それはそれである方面の人たちをくさしつつ、まだWeb2.0に感化されていない読者のために冷静な議論を喚起したかったのであろう。
この記事を読んで問うべきは、では、いま巷で言われているWeb2.0に欠けているものはなにか?ということかもしれない。それは1.0を振り返ることではない。2.0も3.0も大いに結構。しかし、その議論に浮上してこない要素が次の勝機に繋がると思っている。その話は、またいずれ……。
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