メディアビジネスの未来や終焉(!)を予見するならば、エロの行方にヒントがある気がするのですが、そのような視点でまとめたものがありません。よって、自分が書くしかないかもしれない、と最近考えています。それはセックスとメディアとインターネットについての話になるでしょう。
新しいメディアの台頭には、必ずエロがキラー・コンテンツとして先導してきたことに心当たりがある人は多いと思います。ブルーフィルム(古っ)、ビデオ、ダイアルQ2、伝言ダイアル、CD-ROM、ネット……
その意味で、メディアとしてエロ産業は、かれらのコンテンツを載せるべき器を乗り換えながら、正常進化を果たしています。
かれらエロ業界のメディア進化から得た教訓として、私見ではありますが、“欲望が乗せられないメディア”は流行らない、ということかと。ここでいうところの、“欲望”とは、即ちエッチなモノを指すわけではありません。もちろん、すんげー含みますけどね。
メディアとはなにか?
それは、経験や情報を通して、個を拡張させてくれる媒介ではないでしょうか。
だから、紙じゃなくても、DVD-RWじゃなくても、ネットじゃなくてもきっといいんです。ストリップ嬢もステージの上ではメディアなんですよ。
メディアにおける欲望とはなにか?
たぶん、こちらは個の拡張というよりも、脳内の刺激を拡張していくことではないでしょうか。「見たい・聴きたい」「触りたい」「コントロールしたい」などの脳が催した欲望により、リビドーを発生させていく。
ブラウザーが出現する以前、インターネット上で無修正の性器が映った画像を見たければ、.altのニューズグループに参加するしかなかったけれど、誰 もがインターネットのユーザーになったいま、裸のデフレが起きています。コンテンツ相場の価値暴落という、初期には考えられなかった事態です。
だから、カネを払ってエロ本を購入したいという欲望は死に絶えました。これは新聞のニュース記事と一緒かもしれません。だって、タダであちこちにあるんだ もの。なんで、わざわざ新聞なんて購読するのか意味わかりませんよね。「プロがつくっているんだから、すごいんだぞ、バカ。カネ払え」なんて理屈は、よほ どの高等遊民くらいにしか通らないでしょう。ちなみにわたしは購読してますよ。えへん。でも、たいていの人々はヨソで500円のものが100円 で買えるなら、ダイソーに行く。
裸のデフレとは、エロ産業にしてみたら、コンテンツのデフレなんです。そのため、エロ産業で起きたことは、まず間違いなく非エロな情報を扱う情報産業にも飛び火するであろうと、わたしは睨んでいるわけです。では、次になにが起きるのか?
行き着くところまで行き着いた? あるいは、まだ過渡期なのか?
これについては、取材を進めて書いてみないとわかりません。ある程度の仮説というか憶測はありますが。
いまNikkeiBP onlineで執筆中の「誰でもメディア宣言」は、メディアがメインフレーム(むかしのバカでかい大規模処理できる汎用コンピュータのこと。パーソナル じゃなかった)としての一極集中時代から、技術革新によって超並列分散処理にたどり着いたという話をしています。
いわば、情報発信における「グリッドコンピューティング」みたいなもので、そこにプロとアマチュアという垣根が決定的に重要な差異ではなくなってしまったということでもあります。
そして、それはエロも一緒で、スパコン並な化石のブルーフィルム(8mm)から手許のデジカメのメモリカードに、セックスが所有できたわけですよ。すると、たとえばご希望の単語で写真を検索するだけで、全世界中のご希望な単語で括られた写真が無数に出てくるわけです。これはエロの「グリッドコンピューティング」なわけです
ね。
誰も頼んでないのに。いや、頼んだかなあ…(笑)。まあ、それはともかく、こうなると、セックスに変化が起きてくるかもしれない。メディアの変質によって、実体にも影響が出てくるわけです。
付言すれば、所有できるものは、個人の嗜好に非常に左右されるものですから、最終的に“わたしやあなたの好みにオリジネート”することが、そのゴールになると思うのですね。
で、ケツ毛バーガー事件や香港の大スター、エディソン・チャンのハメ撮り流出画像事件を引っ張りださずとも、リビドーの高い人は、まず自家謹製ポルノへの欲望があると思うのですよ。これは、メディアを所有する欲望にも近いのですが、そういう人が目指すゴールはカスタマイズなんです。車やバイク、携帯もそう。皆がもっているモノこそ、カスタムしたくなる。
一方、概念的にも、先鋭はいずれ大衆化する。たとえばSMなんか、むかしはよく医者や売れっ子作家などの知性的な特権階級が嗜むものという認識だったかと思 いますが、現在では、その辺のパンピーもSMチックな行為をananやコミック、小説などのメディアを経てコピーしている。だから、先端的なライフスタイ ルは必ずコピーされるので、現在のエロにおける先鋭を捜すことで、その次に流行りそうな概念を引っぱりだせるのではないか。これ、あくまで仮説ですが。
冒頭に書いたように、個が拡張しているということは、個が情報化しているということなんです。もちろん、「やる」と「みる」は大違いなので、「やる」ようなエネルギーの高い人は、たいていクリエーターなんです(ここでは天才を保証する意味で言っていませんので、パンピーも含む“情報化した個人”ですね。よく製品スペックだけやたら詳しい人いるでしょ?)。
なので、だれもかれもにそういう欲望がある、という意味ではありませんが、メディアってのはクリエーターがいて、それは送り手だけじゃなく受け手もそうだということなんですね。そこで、はじめて機能するわけで、このクリエーター関係者だけでも、一定規模の市場にはなると。
現在ではbotが収集してきたデータをパーサに食べさせ…みたいな“無人メディア”の勃興と、ひたすら人の言葉や記事を引用したり、SPAM化する“クローンメディア”、ほとんど書き手にしか意味を成さない日記(俺のも、だよね…涙)などが山ほど溢れかえっているのが現状です。
そこで、書き手にしか意味をなさない日記は、“ナノサイズ・ミー・メディア”と命名しつつ、そんな“ナノサイズ・ミー・メディア”ったら、エロコンテンツによく似ていて、内容なんかどうでもよくて、誰がやっているかが重要なんですよ、そこの奥さん。
わたしのようなオッサンが「今日は夕日がきれい」とか書くようなクソブログよりも、ミニスカの女子高生のほうが同じことを書いてもバリューが高い。よって、属人的な武器をもたないクリエーターは、「武器」をつくるしかない。ところが、多くの「メディア志望者」は、武器もないくせに、ブログやったら儲かりますか?と聞いてきたりする。おまえのその顔で儲かるわけないじゃん、バカ。おととい、来やがれと怒りたいが、オトナですから。
よって、エロコンテンツは、属人的要素で淘汰が起きるが、最近はそうでもありません。エロも地盤沈下が激しいのですね。これが一億総メディア化後の情報デフレーションのあおりをくらっているわけです。
もっといえば、メディア度数は高くなって、発信意欲やインフラが整備された反面、情報がデフレーションを起こしているため、スタグフレーションの逆が起きているのかもしれない。文学も書きたいやつはいっぱいいるが、だれも読んでいないのと一緒。裸になるやつはいるかもしれないが、観るほうはもうお腹いっぱい。その意味で、皆「やる」人になってしまったのが現代ということですね。
『誰でもメディア宣言』は、旧メディアのなかでも、新聞・雑誌がなぜ滅びるのかということについて書いているつもりです。そして、“ナノサイズ・ミー・メディア”や“クローンメディア”の対極にある“ヘヴィメディア”を志す人に向けて、情報のデフレとそこから這い上がるための知恵、ってやつを、手探りでまさぐっているつもりです。
一方の「セックスとメディアとインターネット(仮称 : もっと面白い名前にします)」は、「誰でもメディア宣言」の異母兄弟であり、「メディア進化論もびっくりのその先論」まであぶり出せたらいいのですが。
はたして、書いてみなければわからないということもあり、だいぶ取材も必要になってきますが、やる気は満々です(期間限定)。ということを知り合いの担当者にぶつけてみたのですが、はたしてどうなるかな? …と、オチのない投稿になってしまいましたね。すみません。備忘録ってことで(しかも、「です」「ます」仕様)。
関連リンク 誰でもメディア宣言INDEX
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