それは凝視し続けるとフォーカスが狭くなり、どうでもいいこととどうでもよくないことの区分も曖昧になるのでした。
やがては自分がなにを気にしていたのかすらわからないという主観でも客観でもない、真空状態となり、その状態になってはじめて、自分が好きな物語を拾うことができるような……。
だから、植物を写しているようでいて、凝視している対象は植物でなかったりします。植物の名前や形状に興味すらないのだから(!)。
写しながら想うのは人それぞれ…もしかしたら、セックスの記憶かもしれないし、死んだ飼い犬のことだったり、お腹空いたなぁとかいう他愛もないことかもしれない。潜在意識はわからないから、潜在意識だし。だから、「偽植物図鑑」。
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