以下の文書を読み返すと、何について書いているのかさっぱりわからない(笑。でも、当時抱えていたフラストレーションが、音楽論と自分の写真論と私信とごっちゃまぜになって表出しているような……。
個人的には面白いので、そのまま晒しておこうかと。「です・ます」文体がすっかり定着してしまったけれど、以下のほうが自分らしいかな。
思うんだけど、天国は地獄と座標軸が同じじゃないかな? 同じ座標でも時間軸がずれると、天国は地獄に転化するんだぜ。ああ、新説だぞ。
それは突然天国を感じたり、また次の瞬間に地獄を味わうハメになったり……。地獄の深度が深いほど天国への憧憬も強く、時に苦痛は目が醒めるほど強烈な美となって現れることもある。それについては、あんたがいかに本を読まない人間でも思い当たるフシがあるだろ?
よく知る地獄 : The Hell I know well
前のエントリーは、昨年撮影したDIR作品『孤独の地勢図』のロケハン写真にエルビス・コステロの曲「This is Hell」からの一節を引用したもの。その曲はとても美しい旋律に、「ここは地獄さ、ここは地獄だよ」という歌詞がかぶるのだけれど、注意していないとただのラブソングにしか聞こえないだろう。
実はその「This is Hell」はナイトクラブについて歌っている。コステロはナイトクラブで働く歯並びの美しい女性を地獄的だとも描写する。完璧な女性と素敵な酒類が並ぶナイトクラブに自身のこれまでの人生の倦怠が地獄となって現出するわけだ。
コステロは老成した芸術家の多くが地獄の緯度を知る如く、自身が抱える地獄について確かに熟知している。それは人生の振幅であり、地獄は「あちら側」にあるのではなく、「こちら側」にいつも偏在していることを語る。
永遠に吹く芳しい風や完璧な夕陽は 朝食に出る年代物ワインに象られた/そして 裸の新星はシャンペンの上に浮かぶ/若い頃のすべての情熱は/鎮められ 単調になる/おまえはそのことに親しみを感じるだろう/たとえ ほかの名前でそいつについて知っていたとしても
これは地獄さ/こいつは地獄だぜ/こんなこと伝えるのは残念だけどね/良くなりもしなけりゃ 悪くもならない
(This is Hell/ Elvis Costello 訳 koba)
ああ、こんなにも深度のある詩をロックに乗せて歌える人間が何人いるだろうか。コステロの詩は、フラナリー・オコナーの短編小説みたいだぜ。セックスについてはなにひとつ謳われていないが、酒についての描写はセックスへの暗喩だろ。
よお、タバコと時間、新しいネタに俺のメンツあるかい? : Hey, Have you got a cig, the Time, the News, My face ? (quote from Barry Hannah)
さて、いまのは前フリ。ここから本題に入ろう。
しかも、予言しておくが、突然私信のような文体に途中から様変わりするのさ。文学的な技工名はなんつーかな忘れてしまった、音楽なら対位法とか……まあ、その、エッセイと論評と独白のマッシュアップというわけだ。お手並み拝見。いや、拝見されるのは俺だったか。
でも、もう十分に長くなってしまったので、簡潔にいう。多くの挨拶に意味がないように、多くの一眼レフや二眼レフ、レンジファインダーは地獄を直視していない。だから意味がない。
女子カメラ? 性差別だな。地獄を覗く行為にジェンダーは関係ないさ。ただ、革ストラップに小難しそうに見える一眼ぶらさげているのが誇らしいということを言うのなら、別に構わない。それ以外は"女子地獄カメラ"だ。あるいは"男子地獄カメラ"だ。もしくは…ええい、やめよう。ようこそ、地獄カメラ倶楽部へ。
シャシンは放置しておくと、凡庸なコードをまとってラケットのガットみたいな厚い面の皮を張る。地獄の観察においては、前述したように性差、年齢、経験は関係ない。凡庸なコードとは、写真でいえば「被写体との距離感」やら「内面性」といったクリシェを用いることさ。よく聞くだろ?
そんなもの、まとめて煉獄の炎に焼かれちまえ。バハハーイ。
地獄を見つめることで天国に突き抜ける作品もあるはずだ。少なくとも自分はそういう奇跡的な小説や詩ばかり読んできたのだが。具体的に書いたら、長いリストになるので割愛する。
お前はどうだ? 知り合って何年になる? 知らなくなってどのくらいだ? いまも写真を撮っているのか? そうだ、そこのお前だ。いや、お前じゃないかも。まあ、俺のお前ならだれでもいい。いや、お前の俺のお前か? ええい、どっちだ。
素敵な写真が何枚かあったか? そりゃ、よかったな。でも、それらは俺が撮っていたんだぞ。俺がいるだけで撮れたんだ。本当だ。俺は霊媒体質なんだ。ラジオのアンテナ握ると感度が良くなるときってあるだろ? あれみたいなもんだ。俺というオブスキュアを貫いてそっちのCCDに定着させていたんだぞ。握るのが俺のアンテナじゃなくておめでとう。
俺か? 俺はお前の"適わなかった人生"だ。
構図? 知るか。露光値? 知るか。レンズ? 知るか。おい、俺の話聞いていたのか? そんなこと話すためにお前は写真をやっているのか? 驚いたな。
さっき、俺が言った、お前のわずかな優れた作品は俺が撮ったという言葉が嘘だと思ったら、お前の心に聞いてみろ。
未来のお前の写真は退屈だ。なぜなら、俺はお前の地獄ごと引越したからな。お前の地獄はもうない。俺が所有している。良いお知らせはそれだ。そして、悪いお知らせは、お前が永遠に凡庸な写真しか撮らないということだ。
また立ち会ってほしい? 要らないだろ? 適わなかった人生だぞ。そいつを抱えた地獄か、抱えない凡庸か。お前の二択は終わったんだ。撮りためた『セックス・アンド・ザ・シティ』を観て、洗濯をしたり、買い物したり、一度も勝負しない勝負下着のような一生を選んだのさ。
俺はとんでもなく苦しいがね。脱出したいのだが、地獄には出口の概念がなかったな。俺の愚かさとお前のマンネリな人生に乾杯。
ただ、これだけ伝えておく。地獄はいつでもアクセス・フリーだ。いつかまたどこかで。あるいは写真展で。そして、地獄を撮るには実はカメラなんて要らないんだ。
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