「ここは新しい世界なのか?」
上海の大学に通う女主人公のもとに、ある晩、とつぜんに現れた男のつぶやき。
この物語は、常にこの問いを発しながら、時空を超えて紡がれていく。
ストーリーは重層的で複雑に絡み合っている。
シンプルに総括すれば、恋愛が規定する人生からの逃亡者たちの実存に世代と国を超えて迫る怪作である。
現代を生きる男女、その恋の終わりに上海留学を選んだ女主人公。そして彼女の伯父にあたる男の数奇な人生がオーバーラップしながら、物語は意外な展開をみせていく。
人はなぜ恋愛をするのか。そして、そこに見い出したものに、人生を規定されるのはなぜか。永遠の謎なのだから、謎が解かれるわけではない。
しかし、謎から目をそらすことなく、謎を見つめ続けようという意志によって、この作品は希有な物語へと昇華する。
すっぱりと割り切れるようなコンセプトやアイデア、アプローチを採用することもできたろうが、本作が重層的であるのは、男女の心の襞もまた重層的であるからだ。
あえて、物語を因数分解すると、「愛の死滅と再生」「共同体と外部」といった軸が織り込まれ、史実とフィクションのなかに渾然と織り込まれている。
おそらく、著者自身が書かずにはおられなかったのだろう。登場する者に命が吹き込まれたのは、著者が自身の肉親(登場人物のモデルになっている)より感じた「力」によるところが大きいと思う。そして、もうひとつの「力」は、上海という街から醸し出されている。
上海の熱気と喧噪、そして、かつてそうであったろう描写は凄い。
技巧もさることながら、人間を洞察しえなければ書かれないであろう機微。この機微を凝視することで、時空を接合しても、トリッキーな作品に陥らずに成立している。時代エンターテインメントであると同時に、ヘタな純文学を凌いでいる点が素晴らしい。
女主人公は月光のなか、「世界の果て」にいる自分をもてあます。
しかし、現れた男は、「世界の果ては、自分の新しい中心であり、どこに行っても自分からは逃れられない」旨を告げる。
男の人生そのものが、新しい世界にたどり着こうとも、かつての恋から逃れられなかったように。
堕ちていく女主人公と、かつての熱愛を全うしようとする男。
平衡したまま交わることのない線ではあるが、二者とも共通しているのは自身の過去に亡霊のように憑かれていることだ。
世界の果てまで逃げたとしても、あなたは、あなたという地の端にいて、相変わらず途方に暮れているだけなのだから。
桐野ファンならずとも、必読である。
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