清水良典氏の「MURAKAMI 龍と春樹の時代」(幻冬舎)を読んだ。
題名のとおり、これは村上龍と村上春樹という時をほぼ同じくして登場し、現在も活躍中の作家に対する論評だが、着眼したのは、二人の共時性である。
二人の村上はときに、80年代にドラマの女王として名を馳せたW浅野(浅野ゆう子、浅野温子)ならぬ、ダブル村上(W村上)と呼ばれ、70年代後半より常にメジャーな日本文学のトップランナーでもあった。
当然、当時(といっても、どこにフォーカスするかは難しいのだが、とりあえず自分の場合には80年代だった)を知る読者なら、清水氏のように、この二人の作品に類似点(剽窃とか、そういう問題ではない)や、緊張関係のような磁場がはたらいていることを薄々感じていたのではないだろうか。
ところが、意外なことに(?)二人のファン層は重なることもないせいなのか、あまり、その点については紙幅をもって論評されてこなかったのかもしれない。
本書は、日本文学における二人の登場の意味から、二人が属する世代や育った環境をひもといていく。
また、日本における昭和から平成にかけて起きたさまざまな歴史的事実を重ねつつ、二人の作家のテンションの維持や、モチベーションを推量していくというアプローチが取られている。
そこから浮上してくるのは、二人の作品は作風こそ違うが、抱えている苦悩の中身がかなり似通っている点であり、その苦悩そのものが、現代を生きる日本人の懊悩や孤独を照射しているという点だ。
もちろん、作家は社会全体の代弁者でもあるし、ある種、社会がメディアなどで言葉にできない言葉を発しようとしていると、それを天性のアンテナで察知して口寄せするイタコのような存在である。よって、W村上が現代日本の精神を作風に滲ませていることは至極当然のことだろう。しかし、だからこそ本書は横串を通して、二人の村上の資質がひとつの根から滋養を吸い取るようにして育っていく様を解説していく。
つまり、本書を読むこと自体が、W村上をめぐる冒険であり、日本人をめぐる冒険なのだ。
いわば、波をかち割り、漆黒の海を進んできた船が日本丸であるとしたら、その舳先に並んで航海の先を見通してきた、視力の極めて明瞭なウォッチャーたち〜しかも、資質が激似〜がW村上なのである。
そして、加えて言うならば、W村上が嫌悪する対象は、旧日本人(団塊の世代以上)と日本人全般がもつイメージとしての日本人像に根ざすところが大きいだろう、ということが本書から読み取れる。
村上龍におけるSMは、旧日本人が抱くモラルとその裏にある差別主義と怠惰な日常へのテロルであり、春樹における欠落や喪失は、豊かになったのと引き換えに、すさまじく記号化、あるいは痴呆化していく「ちょいワルオヤジ」たちへのアンチテーゼなのだ(皮肉なことに、そのちょいワルたちが、春樹本をナンパの武器にしたりする)。
本書を読んで思うのは、W村上は、日本人のおとなしさや従順さ、その裏にある、陰湿さや全体主義的な傾向に唾棄しつつも、しかし、自身も日本人であるがゆえ、アンビバレントな苦悩のはざまで、クリエイティブを行っているのではないかということだ。
時を同じくしてデビューしたが、文学というコードの内側に研究者のごとくベクトルを向け、そこから文学の外側を照射することに成功した高橋源一郎とW村上は明らかに異質と言っていいだろう。
その意味で、二人の村上はビートルズとローリングストーンズのような存在であり、スタイルとファン層、描き方こそ違えど、実は同じ世界を違う言葉と感受性で表現しているため、シンクロしつつもっと大きな作品を紡いでいるのかもしれない。
ところで、清水氏の論評の優れている点は、「俺が、俺が」という自我を表出させ、俎上の作家を言葉で屈服させるのではなく、評論の役割を踏まえたうえで論じているという点だ。つまり、作品や作家の創造性を通じて、大きなパースペクティブを露にしようという態度である。
このような「評論のグラウンドデザイン」というものがあるとしたら、それを意識した論者が清水氏だろう。細分化され、全体の見通しが良いようでいて、実は視界狭窄に陥りがちなネットというメディア装置がリテラシーのメートル原器になりつつある時代、清水氏のようなディスクールは貴重なのである。
清水良典、高橋源一郎、村上春樹、村上龍と聞いておもわずコメントです。私の中でもこの四人はつながっています。
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投稿情報: hidetox | 2008/10/29 22:58
> hidetoxさん
コメントをありがとうございます。
いま、ふたたびかれらの位相を解く清水さんの評論は、逆にタイムリーな気がすると同時に、再読してみようという気にさせられました。
投稿情報: こばへん | 2008/10/31 17:44