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コメント

良い事言うねぇ。 私も食えなくなるかもしれませんが、来年がどうなるか写真で楽しもうと思ってます。

最終的なインターフェイスであり、ソフトであり、ハードである、人間そのものは、9万年前から進化してないですからね。

この「人間」という物体にとって、いちばん心地いいポイントが、さまざまなものやサービスにおいて、ピークは常に未来にあるわけじゃない、と小生も実感しております。

人間がインプットできる情報を、五感ではなく、主に視覚からだけに限定している今のデジタル的情報って、実は本質的に情報量が少ないのかもしれないですし。

なんかバイクのゼファーの話をしてるように聞こえる…

俺はアレが売れてると聞いたときに、もうバイクに未来はないと思ったね。
そういや機械式腕時計もそういうモノだな。
商品が完熟したら、後は成長はなくなって、多様化に走るってことかもね。

バイクも腕時計もカメラも自動車も、自分を表現するものだっていうところが共通点かな。
一定の機能があれば、それ以上の付加価値は「自分の表現ツール」としてはたらく。

> 上海君さん

おもしろくなき世をおもしろく、ですね。
カメラがあればなんとかなるような気がします。

> yanaさん

マクルーハンではありませんが、ネットワークによる身体の拡張を語るときに、最大の矛盾点は身体はずっとそこに置いたまま、なんですよね。

意識は拡張するけれど、肉体は拡張されていない。つまり、進化と同時に退化が始まっている……みたいな。終わりの始まりかな。

> nomad

その昔に、“ゼファー=盆栽論争”ってのがあったね。

ただ、アレはZ系のデザインを抽出しただけで、本来のZ系の到達点を機能として模倣していないから、本記に書いたスーパーイコンタやW124なんかとは違ってハンパだと思っている。

TWやSRは昔からそのまんまという天然さにおいて、ゼファーとはちと話が違うよね。

でも、nomadの言う通り、ある地点からは多様化で、バイクは恐ろしい勢いで進化し、完熟し、折り返した有史稀な製品かもしれない。

過剰な機能にお金を出すことに疲れを覚えた人類が一定の割合になった時点で、復古調や懐古のコピペではなく、基本性能をひたすら磨くという姿勢を、特に日本の製造業は示したほうがいい頃合いかも。

そうすると、哲学が必要になってくるのかも。つまり、価値を押しつけろってことだけれど、そういうこと言うと怒る人とか出てくるんだよなぁ。

哲学を押し付けられてヒィヒィ悦ぶ消費マゾヒストをプロシューマーと呼ぶのだろうけれど、よけいなスペックを尊ぶコンシューマーばかりだと、職人さんもやってられないよね。

職人の価値っていうのがわからないと、商品の価値に思い至らないよね。
それは自分と職人との関係性を相対化してとらえる作業だと思うけど。

> nomad

たしかに。その点は、いまやどうなんだろう?
企業から優れたモノが出てきて当たり前、みたいな受動的な態度の消費者が多いように思えるけれど。

でも、それも致し方ないというか、消費者ばかりが責められるべきではなく、職人とユーザーとの橋渡しというか、コミュニケーション的役割を担うはずのメディアが機能不全に陥っている気もするなあ。

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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    銀塩、デジ、針穴、赤外線によるパノラマ作品までこなすルチャ・リブレ派。最近はもっぱらフィルム回帰中。

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