わたしは短編小説や詩をあちこちのサイトでひそかに書き散らかしてきました。それらは忘れた頃、突然見知らぬ人の心を動かすのか、時折長い感想をいただいたり、時折だれかを怒らせたりします。それは時限設定された心のウィルスみたいなもの。そんな書き溜めたものの一片をこの写真に添えてみます……
ぼくが書いた手紙は、彼女に渡されないまま、ぼくの机の引き出しにひっそりと眠ったままだ。
ぼくは彼女をひどく傷つけてしまったのか、あるいは、彼女を喜ばせたのか、まったくわからなかった。彼女はおそらく、慎重になにも感じないようにしていたのかもしれない。
ぼくが描写したおぞましい表現は、彼女の意向に沿っていたかもしれないし、あるいは、沿っていなかったのかもしれない。それはいまでもわからない。ぼくは彼女だけに雇われた三文作家だった。ただ、いまでは彼女にぼくの言葉が届けられないことが、ぼくに極度の沈鬱をもたらしている。
言葉は、結局、受け止める相手がいて完成し、そこから世界につながる。しかし、相手や相手の人数によって変われば、場合によっては使う場所とタイミング次第で、まったく違う意味をもちえることについてはもう話したっけ?
やがて、ぼくは喋るのをやめた。
何度も同じ季節が過ぎていった。
ぼくの心は手紙に託した。膨大な手紙をぼくは書き続けた。相手はだれでもよかった。テレビに出演していたタレントだったり、ネットで日記を書いている人だったり、近所を歩く人だったり、政治家だつたり、好きな音楽家だったり、前の職場の上司だったり、君だったり。
手紙は引き出しのなかに、仕舞われたままさ。言葉の墓地のようだね。きっとぼくが死ぬまで、いや、死んだとしても、引き出しいっぱいに溢れて、そのまま、そこにあり続けるだろう。
ある日、ぼくの家にかれが来た。
いつか来るだろうと思っていた。かれは配達されない手紙をどこかに持ち去り、そして、それをどうやってか知らないけれど、宇宙とか土とかそういう根源的だと思われる場所に返すらしいのだ。
その存在について知ったのは、ぼくのような人たちが集うウェブサイトからだった。ぼくは期待もせずに、かれにぼくの所に寄ってほしいというメールを出しておいたのだ。
ぼくは、やっと来てくれたのですね、とかれに言った。
かれは微笑んだ。
あの、これで全部ですかね?
ああ、たぶんね。ぼくの手紙は多い?
さあ。
かれは両肩を軽く持ち上げてみただけだった。そんな質問ばかりされているのだろう。
そして、かれはこう答えた。
失礼な言い方でたいへん恐縮ではございますが、私のお客さんは皆狂っているから、私にはそれが多いのか少ないのかよくわかりませんよ。
言葉で世界を語りきろうというのは奢りですよ。わたしたちは瞬きの数なんて数えませんが、瞬かなくてはならない。言葉も同じですが、お客さんは瞬きそのものを意識しすぎているのでしょう。
ああ、ぼくは言葉を並べすぎたせいか、何度も見つめていると、とても大切ななにかを書いたはずなのに、そこに並ぶ記号のような言葉がなにを意味するのかまったくわからなくなってくるんだ。この苦しみが君にはわかるかい?
わかりますよ。
かれはそっけなく答えた。
だから、私がそれを預かるわけでして。そして、帰ってから、じっくりと意味を検分いたしましょう。
そう言って、かれは去っていった。
何年たっても、かれからの便りはなかった。意味たちは、二度とぼくのもとに戻ってはこなかった。だから、ぼくは写真を撮り始めた。意味はもうどうでもよかった。言葉ではなく、ぼくがなにを探しているのか、そこに映るような気がしたからだ。
いまも答えを探して膨大な枚数の写真を撮っている。でも、ぼくが見つめていた先にあったのは過去から届く光ばかりだ。
(2008.03 by kobanica)
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