……実はもうだいぶ長い間立っていたらしいのだが、おまえはおれを見ると、自分はたまたま通りかかっただけというような笑みを浮かべて、こう尋ねた。「ねえ、火ない?」
おれはおまえの面倒をみた。そして、おまえが去っていったとき、それは人生の若いうちにはよくあることだと自分を納得させた。なあ、おい。窓辺に並べた鉢植えの植物が一個枯れただけじゃないか。
初めて会ったときのおまえは膝まである黒のオーバーをきて、ピンクのセーターを着ていた。その上には大きなふたつの瞳があった。その瞳は猜疑心と純粋が色のきれいな石のように混じり合っていた。
おまえは歯磨きが苦手だった。パジャマにはいつも白い歯磨き粉の一部がついていた。
おまえはひどい嘘つきだった。でも、おれはおまえの嘘を愛していた。おれにはつけない嘘をつくからだ。
おまえの嘘はおれのと違ってだれも傷つけないし、それは美しい嘘だった。
おれが目覚めても、おまえはいつも寝ていた。おれはその横で読書をした。おれの日課は、おまえの隣の読書から始まり、それはおまえが去る日まで続く。人生では出会うということが、同時に別れを意味しているわけだが、このときのおれには入り口しか見えていなかった。
おまえは嘘つきだったが、不誠実ではなかった。……そう願う。あるとき、葉から朝露が落ちるみたいに、自分の目から涙がこぼれて本を濡らしていた。理由については心当たりはあるが、ここには書かない。
ノートはここで終わっている。
何ページか意味不明の言葉が連なり、そのあとに、こう書かれている。そのまま引用してみる。
愛は蹂躙するのだ。
おまえの口癖。意味不明。顔は真剣そのもの。
「わたしたちは、自動ピアノの練習曲みたいだね」
愛は蹂躙するのだよ。ああ、繰り返しちまった。
このノートによれば、愛は権力なのだとも。もう愛さなくなった者と違い、まだ愛している者だけが絶対的な愛の権力に蹂躙される、と書かれている。
すでに愛さない者は冷酷であり、専政的な振る舞いをするとも書かれている。ノートによれば、おまえが去ったあと、おまえの横で過ごした記憶がおれを長い間苦しめていた。
おまえは苦しまずに去ってしまった。ちくしょう、幸運だったな。
駅前のスクランブル交差点で、ふとおまえに呼び止められた気がした。
多くの人間が交差点を行き交うなか、おれはおまえを探す。しかし、おれはもうおまえの顔なんて覚えていやしない。というか、思い出さないように生きていて、それは成功したのだが……。愛の権力圏外だ。
待てよ、勝ったのはどっちだ?
さてと、残されたおれの人生は続いている。おまえはもうこの世界にいない。おまえには信じられないだろうが、いまではあの計算とお絵描きしかできなかったコンピュータが電話みたいに世界を繋ぎ、モーターで動く自動車が街を走るようになったよ。変わらないのは、毎日が慌ただしく、大勢の人間がいまもあちこちを自分の足で歩いていて、戦争もあればクリスマスもあるということだ。
街の往来をみていると、おまえはひどい嘘つきだったが、唯一真実を言ったのだと思うときがある。
どんな意味かまったく見当つかないが、中年になったおれは、ときどきその言葉を思い出す。でも、おまえの顔が思い出せない。そんなおれたちは、自動ピアノの練習曲みたいだな。
model : Y / taken by pain & SIGMA SD-14
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