夢を夢以外に引っ張りだしてきて、それを見るには、どうしたらいいか?
他人の夢であれ、自分の夢であれ、夢のなかを覗くことは可能だろうか。
かつて、映画監督のヴィム・ベンダースは『世界の果て』で、夢のなかの映像化に挑んだ。
しかし、それは単に残像のようなものをCG処理@80年代したような感じだった。
夢のなかで見た夢にはほど遠く、CTスキャンや超音波とかで調べたかのような医療的画像。「夢とはこんなものじゃないかなあ」という無邪気な映像だったと記憶する。
今回、映像、コミック、文学からひとつづつ、私がもつ奇妙な願望に応えるべきガイドブックとも呼べる作品を選んでみたが、夢想家の皆さんのお気に召すだろうか。
まずは映像から。
オーストリアの映像作家、バーバラ・ドーザーとクルト・ホスタッターの「Dream's Dream(夢中夢)」という映像作品は新しくも懐かしい体験を味わえること必至。ただ、現時点でネット上を検索しても、このアーティストのサイトは見つからない。どうやって作品を入手できるのか不明ではあるが、なにかの拍子にDVDで発売されるかもしれないので、将来検索してくる人のために紹介するのも悪くないだろう。
本作の映像では、輪ゴムみたいな曲線が激しく振幅し、そこにアンビエントなノイズが流れ、不規則に変化を遂げていく。チルアウト系とも違い、たゆやかに和ませてくれるわけでもない。
13分の作品だが観ている間、猛烈に眠くなる。「夢の夢」なので仕方ないだろう。しかし、再び目覚めたとき、その体験は忘れがたくもあり、「もう一度」と呟きたくなるのだ。
そのむかし、村上龍が『愛と幻想のファシズム』のなかで、同書の主人公たちが起用した映像アーティストについて書いた一節を思いだした。その映像アーティストは瞼の裏側にあらわれる紋様のようなものを視覚化するとのことであったが、私はそれを読んで以来、実際にそのような映像を待望していたのだ。
そして、20年近く経たいま、そんな作品にめぐりあえたように思われる。それは、瞼の裏ではなく、末しょう神経に流れる残像なのかもしれないが。
次はコミックだ。
福島 聡の『デイ・ドリーム・ビリーバー・アゲイン』を“夢のなかの夢ガイドブック”に挙げよう。
同書は、特殊の能力をもった3人組の逃避行を描いたコミックである。
主人公の女性は、他人が抱く悪夢を出現させる能力をもつが、やがて、その悪夢は彼女自身を蝕むことに……。
読んでいくうちに、その作品自体がめくるめく夢(それも悪夢)のなかに我々を誘う。
現代コミック界の異端、福島ワールドのひとつの結実。
そして、最後は文学より。
カズオ・イシグロの『充たされざる者』だ。
端正な文章をもってスローパンするキャメラのように丁寧に心理を追っていくカズオ・イシグロが、夢を描くとどうなるのか。本作を読むことは、夢を読むことに相違ない。その夢は、また夢のなかへと我々をたぐり寄せ、長い間離してはくれない。
ある街を訪れた演奏家に起こる、奇妙な依頼の数々。混乱と曖昧が断絶なく接合されるあたり、まるで夢がその観察者により写実可能だったとすればこうなる、という自然主義文学のようでもある。
カフカ作品と比較されることは予想に難しくないが、なにかのメタファーとして不条理を描いたり、想起させるわけでもなく、不条理そのものが条理である夢のなかの紀行文として読めば、高い完成度を誇る世にも稀な作品であることがわかるだろう。
以上、単体の作品としては、読後にその目指すべきところがすっと腑に落ちる、といったカタルシスという意味での“落としどころ”をもつような作品群ではないが、“夢のなかガイドブック”として捉えたとき、それぞれの達成と偉大さがもっと理解できるのではないだろうか。
夢想家諸君のご参考まで。
夢テーマといえば、小林さん的に「パプリカ」はどうでしょう?
現実感がおかしくなると、周辺では、評判です。
投稿情報: さや | 2008/05/19 21:10
すみません、「パブリカ」は未読です。
今度、読んでみますね。
ただ、夢についての作品は、ご存知のように古今東西の作品を数えるとキリがないほどの数で、しかも傑作揃いですよね。3作品に限定したのは、最近観たり、再読したからです(笑。
安易な事由で失礼しました。
投稿情報: こばへん | 2008/05/20 00:21