© HIroto Kobayashi 2009
●購入したばかりのアサヒペンタックス6×7改の調子がおかしいので、ペンタックスフォーラムへ。どうやらシャッターのギアが不安定で、フィルム送りの間隔が一定でないとのこと。安価に入手したつもりでしたが、結局、さらなる投資が必要なことに。40年前の機種としては致し方ないのでしょうが……
●以前にアップした江ノ島シリーズの写真は、ある意味、自分にとって写真撮影の始まりかもしれないと思っています(フィルムは傷だらけだし、シャドウは全部潰れてしまったド素人写真ですが)。その前に撮っていたLa Dorce Vitaシリーズから、なにかが変化した瞬間でした。…といっても、撮りはじめてまだ半年にも満たないので、些細な変化ですが。
でも、写真に表層とか深層なんてあるのでしょうか。ある人は写真とは「光の化石」だといい、写ったものがすべてだといいます。わたしもその通りだと思うのですが、撮る側の内面というのがあって、それが滲むものだと思います。それは写真だけじゃなくて、すべての創作物に共通すると思いますが。
●うまい写真家のうまい写真〜特に都市や郊外を写したやつを、わたしは「意味ありげパンフォーカス派」と呼んでいます。それらは見ている者に、撮影者の気持ちよりも意図を汲み取らなきゃいけないという感じを植え付けるので、「意味ありげ」なんですが……。もちろん、そこには意味が多分に含まれていて、それを発見する人もいるのだから、結果的にそれも含めて「うまい」写真なんだと思います。
で、「意味ありげパンフォーカス」じゃなく、記号的に意味のある物を撮ってみようと思って横須賀の米軍基地内で撮影したのがこのシリーズ(犬はオマケ)。でも、キャプションがなければ意味がないという意味で、より「意味ありげ」かもしれませんね。
一方、こちらのConvoyはトラックが軍隊のように並んでいて男らしかったので、特に深い意味もなく撮影した「パンフォカース純情派」。
●いま通っているワークショップで得たことは無数にあるけれど、いちばん大きなことはハイテクによって高度化する撮影プロセスのなかで、実はそれらを素因数分解すると、写真が誕生したときからあまり変わっていなくて、すごくシンプルでプリミティブなんだという原理・原則を理解するということでしょうか。
喩えるなら、もし、わたしたちが戦闘機のパイロットとして訓練を受けているとしたら、シミュレーターを使わず、プロペラ機でドッグファイトを教わっているような感じかもしれません。コンソールに映し出されるセンサーや機械類が故障したら、身を守れるのはこのドッグファイトで得たことだと確信しています。あるいは、ドッグファイトで学んだことは最新の装備を使ううえでもより強力なナレッジになるということでしょう。変な比喩なので誤解されそうですが(笑。
●フランスの歌姫、カミーユにハマっています。リズムセクションは、ヒューマンビートボックス。つまり、人の声。彼女のポップスは、かなり緻密に構成されているのですが、肉声のすごさを感じさせ、声楽家のメレディス・モンクを彷彿します。哲学的なモンクに対し、カミーユのそれはヒットチャートにランクされるポップチューンだから驚きます。下にYouTubeからカミーユのPVを貼っておきます。
> いま通っているワークショップで得たことは無数にあるけれど、…
さすが小林さんらしい切り口ですね.
僕は逆に,原理・原則は変わらないままの写真を使って,どのように自分らしく新しい表現を生み出すのか,という部分がこれまでのワークショップを通じて一番考えさせられたところです(小林さんの裏返しですね).プロペラ機でのドッグファイトの訓練を積んだら,さてどうやって最新鋭戦闘機やイージス艦による防空システムと戦っていきましょうか.
投稿情報: hms | 2009/02/10 22:24
> hmsさん
イージス艦や防空システムと闘う…素敵な表現ですねえ。(^^)
そのブレイクスルーを発見することが、実は写真家としての出発点かもしれませんね。
さしずめ、戦闘機の名前はF16なんですが、レシプロ機っぽくないなぁ(笑。
投稿情報: 小林 | 2009/02/11 22:30