雑誌「WIRED」(コンデナスト・ジャパン)の別冊『WIRED × STEVE JOBS』が明日(31日)に発売されます。映画『スティーブ・ジョブズ』の公開にあわせて、故スティーブ・ジョブズのファンにとっては、出費の多い月になりそうです。
本誌でわたしはアドバイザーを務めていますが、この別冊には、かつてわたしが編集長を務めていた月刊誌『ワイアード・ジャパン』のアップル社(当時はアップルコンピュータ)とジョブズに関する記事がすべて掲載時のレイアウトのまま再録されています。
当初、そのアイデアを編集部から聞いて驚きました。まさか刊行できるのか半信半疑でしたが、編集長の若林 恵氏を筆頭に、編集スタッフらの努力で実現したわけです……
……そして、かつて1995年、ジョブズがネクストコンピュータの代表を務めていた頃のわたしのインタビュー記事も再録されることになりました。
ご機嫌だったジョブズ
当時、ジョブズのインタビューは世界的にも珍しく、本家US版に先駆け、日本版からの取材オファーに許諾が出ました。わたしが知る限り、ほかに北米の専門誌「NeXT WORLD」、音楽雑誌『ROLLING STONE』、日本では高木利弘氏が編集長を務めていた『MAC LIFE』くらいではなかったでしょうか*
*もし、ほかに95年頃の取材記事があれば、わたしの無知です。御教示ください。
ただ、ネクストコンピュータ社の首脳を含め、1時間というインタビューは、取材嫌いの彼にしては、かなり稀なことと聞き及びます。日本人でわたしよりジョブズ取材の最長時間記録保持者は元アスキーの創業者、西和彦さんだと当時キヤノン販売の幹部の方(同社はネクストコンピュータ株主の一社)に聞き及びましたが、どうなのでしょうか。
なぜ日本版だけがジョブズの独占取材を成功させられたのか、その背景について増刊号で取材に答えてています。いまだから明かせる取材の裏話、伝記にも記載されないジョブズを支えた重要な日本人の存在、ジョブズ復帰から亡くなったあとのアップルについてなども語りました。
ネクストコンピュータの卓抜したテクノロジーは、その後iPhone等のOSにも脈々と継がれるものであり、ジョブズの腹心だった当時の幹部とエンジニアたちに取材して書いた記事には、個人的にかなりの思い入れがあります。
なお、わたしがジョブズに会ったその日、彼はご機嫌でした。
まさか写真撮影がうまくいくとは思ってもみなかったので(なにしろ写真嫌いでも有名でしたから)、当時銀塩のフィルムを使っての撮影でしたので35ミリのポジしか用意されておらず、表紙用に撮影することは想像もしていませんでした。
ですので、急遽、彼の肖像を表紙にした当時の『ワイアード・ジャパン』をよく見ると粒状感が出ていて、無理矢理小さな画像を大きく伸ばしたことがわかります。
その後、IDGジャパンが主催するカンファレンスで、壇上からジョブズが「表紙に自分の顔が載っていてびっくりしたよ」とわたしに笑顔で握手を求めてきたとき、わたしは安堵と共に、とっさになんて返していいのかわかりませんでした。ただ、あのときのジョブズとの握手は最初で最後のものとなりました。
ブラック・ワイアード
また、当時の「ワイアード・ジャパン」の別のアップル特集号で、表紙にまったく文字を使わずにリンゴが両方から齧られているデザインを施した号は、史上最速で売り切れました。
この号は広告以外、すべてモノクロ(に見える多色刷り)で、ジョブズの写真だけカラーを施しました。通称名『ブラック・ワイアード』は、喧々諤々の営業会議をゴリ押しし、雑誌流通でも前代未聞の体裁で世に送り出されたのです。
当初、お金がつきたのではないかと陰口を叩かれましたが、黒沢明監督の映画『天国と地獄』を参考にしたわけです。同映画はモノクロですが、一部だけ重要なシーンに色がつきます。
わたしも同号を手元に一冊しかもっていないため、いまでは入手が困難な一冊となっています。もちろん、同号に掲載された記事も別冊には再録されています。
ジョブズの死後にたくさん刊行された特集号は多いのですが、この一冊はまさにそれらとは一線を画した内容だと思います。興味深いのは、ジョブズの心境が変化していく様や、当時のアップルに対するメディアの見解など、産業史におけるひとつの証言集となっていることです。
永久保存版と呼べるものはそう多くありませんが、同号はそのひとつと言ってよいのではないでしょうか。
コメント