収差あっても、光量が落ちても、二重線ボケが出ても、パープルフリンジが生じても、フタつけっぱでなにも見えなくてもいいのではないか、というのが写真を始めてからの疑問でした。
無論、きちんと撮れることは大切なことです。というか、当たり前ですよね。しかし、きちんと撮れていても退屈な写真が多いことも事実かと。というか、その人には退屈じゃないと思うので、他人がとやかく言う問題ではないでしょう。そして、表現として考えたときに、そののりしろというのは無限であり、厳密な計測や観察が重視される写真とは別に、よく写らない写真があってもいいかと。
かつて中平卓馬さんは、写真とは厳密に対象を観察する植物図鑑のような写真でなければならない、と論じていたと記憶しますが、その論を遡れば写真と絵画の差異を含めたうえで述べられているのかと拝察されます…
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